巨星墜つ。遠藤ミチロウさんが死んでしまった。喪失感が半端ない・・・

遠藤ミチロウ

今日は「忌野清志郎」が亡くなって10年目の命日なんだが、何日も前から「今年も清志郎の命日が来るんだなぁ」なんて思っていた矢先。

4月の25日に元「ザ・スターリン」の「遠藤ミチロウ」さんが亡くなっていたニュースを聞いた。ミチロウさんは数年前から体調を崩していたんだが、見事復活して昨年の春からライブツアーとかもやっていたんだが・・・

秋ごろから再び体調を崩されて、その後に自身の「膵臓がん」を告白されたのですが、家のじいちゃんも膵臓がんが原因で亡くなったので「覚悟」はしていたのですが・・・今となっては、喪失感が半端ないです。

「遠藤ミチロウ」と言えば、「ザ・スターリン」!

ザ・スターリン

「ザ・スターリン」は1980年から活動を始めたパンクバンドであり、この時点で僕は中学二年生ですね。(まだ清志郎のRCサクセションに出会ったばかりの頃でした(笑)

当時から相当「危険でヤバイバンド」として有名でして、シャバい小僧だった僕には「怖い世界の人達」って印象でした。(笑)

豚の頭・臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿するといった過激なパフォーマンス をしていたり、興奮したオーディエンスがライブハウスに放火したり、破壊行動に走って東京都内のライブハウスを全部出入り禁止にされたとの逸話も残されております。

そんな遠藤ミチロウさんですが、新潟県長岡市でライブハウスを営業されている「音楽食堂ゼロ」のしゃちょのおかげで、ミチロウさんとは何回か打ち上げでご一緒させて頂いておりました。昨年の4月にも来ていたんですよね、僕はこの時は用事があって行かなかったのですが、それが今となっては悔やまれます。

実際にお会いするまでは怖いイメージがありましたが、いざお話させて貰うと、もの凄く礼儀正しくて優しくて気配りもあって、素晴らしい方でした。

音楽食堂ゼロ

音楽食堂ZERO」のステージは、2016年の初夏に僕と社長と当時高校生の何君だったけか?の三人で作ったんだっけ。ミチロウさんもそこに立ってくれたのかな・・・

実はミチロウさん、こんな破天荒なパンクの割には意外や「国立大学出身」なんですよね。 生まれは福島ですが、福島一の進学校を卒業して「山形大学」に入学して、「人文学」を専攻していたんだそうな。

大学卒業後も喫茶店を経営したり、アジアを旅したりと旅が好きな一面が。僕の姪っ子も某大学で人文学を学んだのですが、やはり人とか民族学が大好きだったようで。長岡に来る際も最初の頃は、毎年「米百俵まつり」の時期(10月)に来てましたね。

途中からは長岡を始め新潟の「人や土壌」自体を好きになってくれたようで、年に2回も来てくれた時期もありました。それも新潟県内、長岡はもちろん三条市みたいな小さな町まで。とにかく「人の繋がり」を大切にする、もの凄く優しい人でした。

ちなみにラーメンが好きな人でしたね!毎日ラーメン食べていたんだとか。長岡でのお気に入りは「栄華楼」だったそう。昔ながらの素朴で飽きない美味しいラーメンが好きだったのかな。(笑)

ミチロウさんとの忘れられない思い出。

7年も前になるのか、高校に入って何ヶ月も経っていないバカ息子が楽器に触れたこともないのに「ミュージシャンになりたいから学校辞める」って言い出したことが有りまして、殴ってでも停めようとしたのですがどうにもならず、

タイミング良く?ミチロウさんが音楽食堂にライブに来たので、音楽食堂のしゃちょが「第三者に言われないと駄目なんだよ、有名なミチロウさんから説教されれば少しは話を聞くかもだぞ」と言ってくれたので、 バカ息子を連れて行ったら。

ミチロウさんは気さくに息子の話を聞いてくれました。が!それが。。。「おう!別にいいんじゃねーか!?」って。

おいおいミチロウさん、「今時高校くらい出ておけよ!」くらい言ってくれよ!って頼んだら、「なんで?ミュージシャンになりてぇんだろ?ミュージシャンなんて学歴いらねぇぞ?」って言うのwww

思わず「いやぁ、そらミチロウさん大学まで出てるじゃないっすか!」って言うと、「そんなもん関係ねーよ!俺、一回もサラリーマンになった事ないからさ、学歴が必要な仕事なんてつまんねーぞ!」って大爆笑。音楽食堂のしゃちょと顔を見合わせ、「ミチロウさんに期待した俺らが馬鹿だった」と大爆笑したものです。

でもミチロウさん、キリッと息子に言ってくれましたね。「ミュージシャンなんて飯食えねえぞ。それでも辞めたいなら良いけど、学校辞めたい気持ちと夢を追いたい気持ちは違うからな、一緒に考えちゃ駄目なんだぞ。」って。

その後は嫁に息子を迎えに来てもらい、明け方近くまで酒を酌み交わし色んな話を聞いたのは良い思い出ですね。ただ、その時は「東日本大震災」が起きてから一年後だった、ってのも有り原発事故と日本の未来が話題の中心でして。

ミチロウさんは故郷の福島を「第二の部落差別が起こる、それを食い止めないと駄目なんだ、これは福島だけじゃなく日本全体の問題なんだ!」って語っていたのが思い出されます。正に今、福島だけでなく日本全体が差別社会に変貌を遂げているのですが・・・

僕の印象ですが、本当に優しくて強い方でしたね。ミチロウさんの曲は色んな曲が有りますが、僕的にはこの曲が一番ミチロウさんが素朴な素の少年に戻った姿を表している気がします。

明け方近くまでご一緒させて貰ったんだけど、帰り際に僕の所に来て、

「息子さん、大丈夫だから。」って僕の目を凄く優しい目でジッと見つめながら言ってくれたのは一生の思い出です。ミチロウさん有難う御座います、あの馬鹿息子も今は大きくなって仕事にもちゃんと就き、それなりに頑張っているようです。その節は有難うございました!!

ミチロウさん、また会いましょう!

貴方の優しさ、強さは決して忘れません。本当に本当に今まで有難うございました、いつかまた会いましょうね!その時までどうか、安らかにお休み下さい。